普茶料理をご一緒に
春の陽光を感じる頃になってきたとはいえど、前日などには昼間に雪が舞う寒さの中、伏見の海宝寺へ「普茶料理」を皆さんとご一緒にいただいてきました。
集合場所は京阪墨染駅。
「ここに来るのは初めてだわ」
「方向が分からなくなるわね」と知らない場所へ降り立った感想が飛び交っています。同じ京都でも知らないところがいっぱいです。
まずは駅から歩いて5、6分ほどの距離にある欣浄寺(ごんじょうじ)の「伏見大仏」に会いに行きます。
街中の普通のお寺といった風情ですが、本堂には木製で最大級の5.3m(1丈6尺)の毘盧遮那仏が正面にドーンとおられます。拝観する位置からさらに下がった位置に座っておられるので、迫力があります。
約250年ほど前、一代目の住職がお首を、2代目の住職が胴体を作られたという記録が胴体の中の柱に残されているそうです。本来、他にももっと木造の大仏は残っていてもおかしくないのですが、火災等で消失してしまったようですね。(小さめな仏像は運び出すことが出来ますから)
伏見のこの地に今の時代に残っていることがとっても稀有なことなんだと思いました。
他にもこのお寺の場所は深草少将の邸宅跡で、小野小町が姿を映したいわれる「姿見の池」や小野小町の恋文の灰を固めて作ったとされる「深草少将張文像」、宗派を変遷して今の曹洞宗となった歴史を物語る仏像が祀られた仏壇などがあり、僅か30分ほどの滞在時間の中でしたが、数多くの知らなかったモノ・コトに触れることが出来ました。
静かに手を合わせてお参りをされる方、ご住職に曹洞宗本山永平寺での修行を訪ねる方、ご住職の解説に深草から山科までの通い道に思いを馳せる方。
今日の目的の脇に並んでもらったお寺でしたが、来られて良かったというのが皆さんの感想でした。
拝観後は寒い中の移動でしたが、15分ほど歩いて今日の主役、普茶料理を頂く「海宝寺(かいほうじ)」へ。
伊藤若冲の「群鶏図」があったお部屋でお食事を頂きます。
お品書きが書かれた説明書を傍らに、食べたことがない、想像がつかない食材の名前を前にして期待を込めた?(クエスチョンマーク)を顔に浮かべながらお料理を待ちます。
「雲片(うんぺん)」
野菜の葛寄せ。食後にご住職からお話を聞いた中で「普茶料理」というのが元々は大きな法要の後のお茶での労いが「少しお食事でも」という風になり、今に至った事、そしてお供えされていた野菜などのお下がりを調理し、根っこなどの屑野菜など余すことなく活かして頂いたという基本になったお料理。
優しくて美味しくてこの辺りから皆さんの食事のスピードが上がってきます(^^♪
「琴羹(しゅんかん)」
飛龍頭や高野豆腐、巻きずしもどき、かまぼこもどき(真ん中が長芋でびっくり)、かぼちゃ煮(かぼちゃの本来の味!)と一つ一つ感想を言いながら食べるのは楽しい!
「附揚」天ぷら
季節の野菜のかき揚げ、タラの芽、菜の花、干し柿、そしてここには精進料理とは思えない”豚肉”が…。
これも説明によると普茶料理では3つ使っていいとされる動物性食材があります。一つは豚肉(お釈迦様の大好物、お釈迦様は豚肉を食べてなくなられたとか…お釈迦様を偲んで頂くという)、次に鯉(あぶくをくわえた鯉の形をした木製の時などを知らせる鳴り物、あぶくは煩悩でそれを食べる鯉は特別という)、最後は牛乳(お釈迦様は牛乳で身体を整えられたという)、こんな面白い話にお口も動かしながら、興味は尽きません。
お料理全般、しっかりとした味があるものの、調味料の味の濃さとは違って、下味、下ごしらえの味がコクとなって美味しく頂きました。お手間ありの料理の感謝です。お腹もいっぱい。
普茶料理は初めてという方も美味しかったね、また来たいね、と喜んでおられました。
海宝寺の町名「伏見区桃山町政宗」とあるように、ここは江戸時代、伊達政宗の伏見屋敷でした。山内には伊達政宗お手植えの木斛(もっこく)が今も450年近く経った今も緑の葉を茂らせていたり、秀吉から拝領したつくばいがあったり、黄檗宗の住職さんの隠居寺だったということから、隠元禅師の書が有ったり、高僧が座られる中国風の椅子が有ったり、唐紙は当時のものだったり、と歴史マニアの人ならば卒倒しそうな歴史の遺物が普通の寺の暮らしの中にあります。溜息。
楽しく一緒にいろんな体験ができた大人の小学校ならではの遠足でした。
2017年3月10日 (小柳 記)